2023年3月のKCG定例セミナー講師は、藤塚神社(ふじつかじんじゃ)宮司の藤基辰正(ふじもと たつまさ)さんです。
藤塚神社は美川町にあり、有名な「おかえり祭り」を執り行っています。
今回は、藤基さんが宮司になるまでと、おかえり祭りのこれまでとこれからについて語っていただきました。
地域のお祭りは危機に瀕している
祭りは、地域の文化を象徴し、住民が誇りに思うものです。
しかし、地域の人口が減少し、祭り自体の存続が危うくなってきています。
おかえり祭りに限った話ではなく、能登・加賀に関係なく「いつまでお祭りを続けられるか?」ということが課題になってきています。
このような祭りは、県や国から無形民俗文化財にしていされています。
祭りを存続させるために行っていることなのです。
逆に言えば、何もしなければ祭りの存続が危うくなっているということでもあります。
2020年から世界を襲ったコロナ禍。
これも、祭りの存続を危うくする要因となりました。
おかえり祭りは、下のような対応を行いました。
- 1年目(2020年)は、コロナウィルスの正体が分からず中止
- 2年目(2021年)は、台車などの展示のみ
- 3年目(2022年)は、規模を縮小しての開催
藤基さんの夢
藤基さんの夢は、神社を守ること、お祭りを守ること、家庭を守ること、だと言います。
小さな夢と思われるかも知れないが、本当に大きな夢だと感じているそうです。
というのも、幼少期は藤基さんは神主になりたくない、と思っていました。
神社の家に生まれると、周りから見られる目も周りを見る目も違ってしまい、そう思うようになったそうです。
神主になるきっかけは人それぞれですが、父や祖父の姿に憧れて、というケースが多いようです。
藤基さんは、父の神主としての姿をあまり見ておらず、憧れも抱きにくかったという状況でした。
いつしか、反抗して、いわゆる不良になっていきました。
しかし、その世界には違和感を感じて、真面目に仕事をしようと思い直しました。
ところが、何をして良いのか分からない。
そのとき、父から渡されたのが、熱田神宮の宮司を務めた長谷外余男さんの回顧録。
これを読んで神主になろうと決意し、神職の養成所に通うことに。
養成所はとても厳しく、スパルタ式。
朝6時から夜10時までずっと正座で、これが毎日続いたそうです。
藤基さんは正座に慣れておらず、大変辛い思いをしました。
また、先輩からのシゴキも苛烈を極めます。
そして、10日目にして辞める決意をします。
その夜、事情を知らない先輩にみぞおちを蹴られるという事件が起こりました。
そのことで、「腹がたった。絶対に辞めない。」と、逆のスイッチが入りました。
こうして、どうにかこうにか、神主となることができました。
神主になった藤基さんは、不思議と生かされているという感じになることが多いそうです。
大きな交通事故にあったことや、一時的な記憶喪失になったこともあったそうですが、それでも生きています。
そんなとき、神社を守る、お祭りを守る、そのために生かしてくれているのかな、という気持ちになるそうです。
祭りを続けるには
かつては、おかえり祭りが子供の教育に悪影響と考えられた時期がありました。
祭りへの思い入れがない子供が増え、その子供が大人になっていった過去があります。
このことも、祭りの存続にマイナスの影響を及ぼしています。
しかし、今は子供の数自体が減ってしまい、危機感が増しています。
子供が祭りに親しめるように様々な施策を行っています。
その一つが開催時間の短縮です。
前述の通り、2022年のおかえり祭りは規模を縮小して開催しています。
具体的には、お神輿が巡航する範囲を町内全域から半分にしています。
かつて朝6時半〜夜12時が普通だった開催時刻が、朝8時半〜夜10時頃に短縮できました。
夜10時頃であれば、小学生でも祭りのクライマックスまで見ることができます。
どのような祭りか、祭り全体を体験することで思い入れを持ちやすくなります。
また、かつては100人居た青年団も、今10人程度。
青年団OBが、その人数を増やすべく育成しています。
青年団として神輿を担ぐ、という祭りを復活させたいというのがこれからの夢です。
そのためにも、おかえり祭りの意義を皆が認識し、誇りをもつことが必要になってきます。
神事も疎かにせず、皆が楽しめるように持続可能にしていく。
この想いが祭りを続けていく起点になっています。
これからも藤基さんの夢は続いていきます。
藤塚神社とおかえり祭りの詳細については、藤塚神社のホームページをチェック!
http://fujitukajinja.com/
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